ウィリアム・テル ミュンヘンオペラ

ウィリアム・テル Guillaume Tell

 

作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ

台本:ヴィクトワール=ジョゼフ=エティアンヌ・ド・ジュイ&イポリット=ルイ=フローラン・ビス(フランス語)

初演:1829年8月3日パリ・オペラ座

時所:13世紀スイスのルツェルン湖の付近

 

あらすじ

第1幕:13世紀のスイス、ルツェルン河畔
(当時スイスはオーストリアのハプスブルク家に統治され、人々は行政官ジュスレルの圧政に苦しんでいた。)
弓の名人テルの家の前。今日は村祭り、三組の結婚式が催される予定だ。婚礼の祝福をするために、村人に尊敬されている長老のメルクタールが息子のアルノールと山から降りてくる。アルノールはオーストリアの守備隊員だが、あるとき雪崩に遭ったハプスブルク家のマティルド王女を救い、それ以来二人は身分の差を超えて愛し合う秘密の間柄だった。それを知らない父のメルクタールは、結婚のそぶりを見せない息子アルノールを嘆く。狩の角笛が響き行政官ジュスレルが近づいてくる。アルノールはマティルド王女を想い、身を隠そうとするがテルに見つかる。テルはアルノールに祖国を救うために協力することを誓わせる。アルノールは恋と国家の狭間で悩む。やがて三組のカップルが現れメルクタールの式司で婚礼が始まる。遠くから再び角笛が聞こえ、アルノールはその場を抜けマティルドに会いに行くが、不審に思ったテルは彼の後を追う。婚礼は滞りなく進み、歌や踊りにつづき弓のコンテストが開かれ、テルの息子のジェミが見事優勝する。そこへ年老いた羊飼いのルートルドが息を切らして駆け込んでくる。ルートルドは娘がジュスレルの部下から犯されそうになったので、その兵士を殺して逃げてきたのだった。テルはルートルドを対岸へ逃すため急流に船を出す。ジェスレルの部下ロドルフが兵士を連れて現れる。ロドルフは犯人を逃がした男の名を問うが、村人は誰も答えない。兵士達は腹いせに長老メルクタールを連行する。

 

第2幕:ルツェルン湖を見下ろす丘の上

夕暮れ近く。狩人が家路を急ぎ、村人は夕べの祈りを捧げる。ハプスブルク家の王女マティルドが密かに現れ、アルノールへの想いを歌う。ロマンス「暗い森」。アルノールが現れる。身分の違いに絶望するアルノールだが、マティルドの愛を確かめ、彼女のために入隊する決意を固める。二重唱「あなたは私の魂から秘密をもぎ取りました」この時人の気配がするので、マティルドは急ぎその場を立ち去る。テルとヴァルターが現れる。テルはアルノールの態度を不審に思い後を付けて、マティルドとの関係を知った。テルはアルノールに祖国愛を説くが、アルノールはマティルドと共にこの土地を去るという。そこでテルは、彼の父メルクタールがジュスレルの部下に殺されたことを伝える。復讐心に燃えるアルノールは自らの恋を諦め、スイス解放運動に身を捧げることを誓う。スイス各州の代表者が集まり、テルの呼びかけに応じてジュスレルへの反旗を翻し、独立を誓い合う。

 

第3幕

第1場:アルトドルフの行政官の館

荒廃した礼拝堂。アルノールはマティルドに別れを告げに来た。アルノールは彼の父メルクタールがジュスレルの部下に殺されたことを語る。呆然とするマティルド。アルノールは、もはやハプスブルク家の軍隊には入れず、スイス独立のために身を捧げると言い、マティルドに永遠の別れを告げて立ち去る。

第2場:アルトドルフの広場

オーストリアのスイス統合100周年記念日。広場の中央に行政官ジュスレルの帽子が飾られ、村人はそれに敬礼することが強要されている。チロルの娘が踊らされ、兵士に乱暴に扱われる。人々の怒りは次第に高まる。テルと息子のジェミニが通りかかるが、ジュスレルの帽子に敬礼することを拒み逮捕される。ジュスレルは弓の腕前の評判高いテルに残酷な仕打ちを思いつく。リンゴをジェミの頭の上に置き、それを射落とすことを命令する。一度はジュスレルに跪くテルだったが、父の腕前を信じて励ますジェミに勇気づけられ決意する。アリア「動いてはいけない」。テルは矢筒から二本の矢を抜き、一本を上着の下に隠す。テルは息子ジェミの頭の上のリンゴは見事射落とす。村人の喝采。しかしジュスレルはもう一本隠し持っていた矢に眼をつけテルに問う。テルは大胆にも、一本目の矢が打ち損じた際、もう一本でジュスレルを射るつもりだったと答える。烈火の如く怒ったジュスレルはテルと息子を逮捕する。そこにマティルド王女が駆けつけ、ハプスブルク皇帝の名で子供の釈放を求め認められる。連行されるテルは村人に武装蜂起を呼びかける。

 

第4幕

第1場:荒れ果てた長老メルクタールの家

アルノールが思い出の家に別れを告げに戻ってきた。アリア「涙さそう沈黙の家」。そこに彼の仲間が駆けつけ、テルが投獄されたと伝える。アルノールは彼の父がその日のために隠していた武器があることを告げ、「勝利か、さもなくば死か」と一同叫ぶ。

第2場:アクセンベルクの麓

ルツェルン河畔。嵐を呼ぶ雲が行き交う。テルの妻エドヴィージュが取り乱して、ジュスレルに許しを乞いに行こうとして止められる。そこに息子のジェミがマティルドと共に駆け込んでくる。マティルドはテルが今頃、湖に囲まれた牢獄に向かって湖を渡っていると告げる。ジェミは父に教えられた様に武装発起の合図である狼火をあげるため山に駆け登る。残された人々は祈りを捧げる。いよいよ風雲急を告げ嵐が襲ってくる。羊飼いのルートルドが仲間を集め、ジュスレルやテルが乗った船が浪にもまれていると告げる。浪にもまれた船は、船漕ぎの名手テルに操られてようやく岸にたどり着いた。素早く岩場に飛び移ったテルはジェミから弓と矢を受け取り、ジュスレルに向かって矢を射った。ジュスレルはもんどり打って湖に落ちる。ジェミのあげた狼火で集まったスイス連合の人々は旗を誇らしげに掲げる。嵐は過ぎ去り雲一つない青空になり、一同スイス解放を喜ぶ。(幕)

プログラムとキャスト

チケットを購入する
APR 2020 Next

ウィーン国立歌劇場

 

EUROPERA Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

ご予約いただいたチケットは劇場、又はオペラ座すぐ隣に我々のオフィスでお受け取り頂けます。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Operring 4, A-1010, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

© Bwag/Commons
©
類似したイベント